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「急成長のスピード感」を体感してみよう

1997年9月1日[コンセンサス]より

インターネットはもう既に第3の波 ?
 コンピュータ産業の現在を正しく理解するために最も大切なことは何だろう。

 「急成長のスピード感」を身体で感じることだと私は思う。

 ジェットコースターに乗ったことのない人がそのスピード感を体感するのが無理なように、言葉の力で「急成長のスピード感」を体感するのは本来無理な話である。しかし、コンピュータ産業と何らかの関わりのある人達は、そのスピード感に多少なりとも感づいている。何か昔と違うなあ、という感じで。そんなところを拠り所に、具体的な事例を織り込みながら、「急成長のスピード感」について考えてみよう。

 今回は、その素材に、ネットスケープ社とシスコ・システムズ社を取り上げたい。

 97年6月、ネットスケープ社CEO、ジム・バークスデールは、ある集まりでこんなスピーチをした。

 「インターネットはまさに第3の波の時代に入った。第一の波が、WWW(World-Wide Web)。第2の波がイントラネット。第3の波は、Web-based e-Mail(WWWをベースとした電子メール)とCollaborative Groupware(協同作業のためのグループウェア)である。」

 彼が言うところの第1の波「WWW」をもたらした同社のネットスケープ・ナビゲータがインターネット上で公開されたのは、94年10月13日のことであった。それからまだ3年も経っていない。3年も経っていないのに、第3の波がやってきたということは、一つの波のサイクルが1年少々ということではないか。

 私は、ここ数年、南カリフォルニアのリゾート地・パーム・スプリングスで毎年2月に開かれる「DEMO」というコンファレンスに欠かさず参加している。このコンファレンスは、その年にホットになりそうな新製品を主宰者側が選び、選ばれた各社がそれぞれ5-10分の持ち時間をもらって製品のデモをステージ上で行なうというイベントである。

 2年半ほど前の「DEMO '95」(95/2)では、確かに、まだWWWのブラウザーのデモが新しかった。ナビゲーター以外にもいくつかのブラウザーが群雄割拠していた時期であり、「インターネット・ブラウザー・オン・ステージ」と題するコーナーで、まだ有名でなかったネットスケープ社のマーク・アンドリーセンが、声を張り上げてナビゲーターの優秀性を訴えていたのを思い出す。

 それが1年半ほど前の「DEMO '96」(96/2)になると、膨大な数のWebsite開発ツールとイントラネット・アプリケーションの製品デモが行われ、さらに半年前の「DEMO '97」(97/2)では、インターネットの本格的マルチメディア化の到来を予感させる多数の製品が登場してきた。確かに、一つの波のサイクルが一年少々という感じのスピード感なのである。

 あるインタビューに答えて、シスコ・システムズ社CEO、ジョン・チェンバースは言う。
「カレンダー・イヤーの1年は、通常の成長の7年分とほぼ等価です。だから信じられない程のペースで前へ進んでいかなければならないのです。」(「Upside」96/7)

Quarter(4半期)単位での急成長
 図1は、ネットスケーブ社の成長を、製品が市場に投入された94年第4 Quarterから97年第1 Quarterまで、10 Quarter(2年半)の売上高の推移をまとめたものである。10 Quarterで4半期単位売上高が1億2,000万ドルというのは、尋常な数字ではない。

 ジム・バークスデールは言う。

 「ネットスケープは歴史上最速で成長しているソフトウェア企業です。設立から2年と3 Quarter、新製品が投入されてから2年と1 Quarterで、マイクロソフトが13年かかって到達した4半期単位の売上高を凌駕したのです。」

 マイクロソフトの場合、1975年に設立され、86年に株式公開するまでに11年かかっており(ネットスケープの場合、設立から1年4ヶ月で株式公開)、確かに、4半期単位の売上高が1億ドルを突破するまでに、13年かかっている(ネットスケープの場合、設立から2年と3 Quarter)。

 余談になるが、ビル・ゲイツの元恋人として有名なシリコンバレーの女性ベンチャー・キャピタリスト、アン・ウィンブラッドは、株式公開の頃のビル・ゲイツについて、こんなコメントを残している。

 『マイクロソフトが株式公開する直前に、ビル・ゲイツが私に「うまくいくかどうかわからない。マイクロソフトの収入は8,500万ドル。この会社が公開するには小さすぎると、皆は思うんじゃないだろうか?」と言ったことをよく覚えています。』(c|netウェブサイトより)
86年と言えば、ほんの10年少し前の話なのに、何だか牧歌的な「旧き良き時代」の話を聞いているかのようだ。

 図2は、ほぼ同時期のシスコ・システムズ社のQuarter単位での売上高の推移をまとめたものである。ゼロから3年で、Quarter単位売上を1億ドル以上にまで成長させたネットスケープとは違った意味で、約4億ドル弱だったQuarter単位売上を、3年弱で4倍以上に伸ばしているシスコ・システムズの急成長ぶりも目を見張るものがある。「3年で4倍」という数字は、奇しくも、進歩の急な半導体の技術革新に関する「ムーアの法則」と同じである。会社が大きくなった状態から、この倍率で成長していくのは容易なことではない。

買収による急成長
 シスコ・システムズのこの急成長の秘密は「買収による成長(Growth by acquisition)」戦略にある。1993年、当時はまだルータ大手に過ぎなかったシスコ・システムズは、インターネット時代の到来を前に、大きな決断をした。

 CEOのジョン・チェンバースは振り返る。

 「我々は、IBMがメインフレームにおいて、マイクロソフトがPCにおいて行なったのと同じことを、ネットワーキングの世界で達成する決意をし、企業としてもっともっと積極的になろう、という決断を下した。そして、カレンダー・イヤーではなく、インターネット・イヤー(7倍速)で市場を見つめることにした。」(「Strategy & Business 」97/2Qより)

 激しいスピードで進化する産業において覇者になろうと決意したシスコのマネジメント・チームはさまざまな戦略オプションの中から、ベンチャー企業を次々に買収することによって成長するという「買収による成長(Growth by acquisition)」戦略を採択した。

 以来、96年末までの約2年間で、14社を買収している。買収総額は、約65億ドルと巨額だが、96年7月のフレームリレー大手のストラタコム社買収にかけた約47億ドルを除くと、一社あたり約1億ドルから2億ドル前後で、あと6ヶ月から12ヶ月で市場が立ち上がりそうな製品を持っているベンチャー企業を買収している。

 買収すると、100日以内に、電子メール、カスタマー・サポート機能、ウェブサイト、製品オーダー・システムといった情報環境の統合、マーケティング部門の統合、生産設備の統廃合をやってのけてしまうという。そして、シスコが従来持っている資金力、チャネル力、生産製造設備をフルに生かして、市場が立ち上がりそうになると、一気に大きく事業を成長させてしまうのである。

 戦略転換後初めての買収は、当時の売上高約1,000万ドルのCrescendo社の買収で、93年9月のこと。買収総額は9,500万ドルだった。それを18ヶ月後には、5億ドルの事業にしてしまった。

 「小さな会社には、1,000万ドルの事業を、たったの18ヶ月で5億ドルの事業にまで伸ばしてしまう能力はないよ。」(「Strategy & Business 」97/2Qより)
ジョン・チェンバースは自信を持って語る。

 ネットワーキング市場を制覇するために、独自開発ですべてをまかなう時間がない、というのが買収戦略に踏み切った背景であった。時間をかければできるかもしれないけれど、そんなことには何の意味もないというのである。

 「ある市場ができる時、もし強い製品を持って最初に参入した二、三社のうちの一社でなければ、いずれ市場シェア・トップの企業になれる見込みはほとんどない。」(「Upside」96/7)
ジョン・チェンバースは、この思想に基づき、自社の開発部門と、競争相手であるベンチャー企業群の技術開発の進行度合いを常に比較しながら見つめ、自社が遅れを取ったという判断をした瞬間に、対象ベンチャー企業の買収交渉に入るのだという。
まあともかく、こんな風にあわただしく、シスコ・システムズは成長を続けているのである。

CEOの「勝つ」ことへのあくなき執着
 本稿では、「急成長のスピード感」を体感するために、シリコンバレーの代表的急成長企業二社を取り上げてきたのだが、この二社に共通するのは、CEOの異常なまでの競争心である。

 英語ではスーパー・コンペティティブという表現をよく使うのだが、「競争に勝つ」ことに対して、人並みはずれた執着を抱く人間がCEOとして采配をふるい、「勝つためには何でもやる」と強く決意している点が凄いのである。マイクロソフトのビル・ゲイツ、オラクルのラリー・エリソンも全く同じタイプである。こういうCEO達が、時代そのものが持つスピード感にさらに拍車をかけているのである。

 ネットスケーブのCEO、ジム・バークスデールは、6月号の本欄で述べた「マイクロソフトの大戦略転換」に直面し、競争が激化した時、新卒社員を集めたスピーチで、こんなことを言ったそうである。

 「我々には世界で最高の競争相手ができたぞ。そいつの名前はビル・ゲイツ。We Got a Killer (殺し屋)。さあ、楽しもうぜ。」(Business Week 97/2/10)
シリコンバレーを震源地として、こんな感じの世界が、最低でも向こう10年から15年は続いていきそうな気配である。

 私は、日本企業トップの方々の、穏やかでゆったりとした紳士的な態度を思い出して、ふと懐かしくなるとともに、「シリコンバレーのこんな連中達と競争したり協調したりしなければならないとは因果なことだなぁ、」と思ったりもする今日このごろである。

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