ミューズアソシエイツのホームページへ パシフィカファンドのホームページへ JTPAのホームページへ 梅田望夫
the archive

Netscape社はどこへゆく

1998年7月1日[コンセンサス]より

Netscape社: 98年1月から3月
 本連載でもたびたび登場してきたインターネット時代の旗手、シリコンバレーの新星・Netscape社がMicrosoft社の攻勢にあって、生き残りを賭けた大戦略転換を余儀なくされている。

 会社設立(1994年4月)から4年あまり。たったの4年で売上高5億3,400万ドル(約690億円)という急成長のスピードもさることながら、この成長を支えてきた基幹製品(ブラウザ)をめぐる競争環境や事業環境が短期間にこれほどまで激変するというのも、過去に例のないことだろう。

 98年1月に発表されたNetscape社の97年度決算は赤字転落、それも売上高5億3,400万ドルに対して1億1,500万ドル(約150億円)の純損失と赤字幅もかなり大きく、決算発表と同時に、人員削減を含めたリストラ案を発表した。96年初頭まで急騰した株価も今や「普通の会社」並みの水準で低迷し、「身売り話」までが噂されている。

 Oracle社のレイモンド・レイン社長兼COO(最高業務責任者)は、3月の来日中に日本経済新聞記者のインタビューに答えて、「Netscape社の株価がもう少し下がれば、相乗効果を徹底研究したうえで買収検討に入る」と発言した。

 米国企業のCEO(最高経営責任者)たちの中でも指折りのタフネスを誇るNetscape社のジム・バークスデール(CEO)も、就任3年あまりの激務に疲労の色が濃い

 余談になるが、95年のCEO就任当時の写真と、現在のバークスデールの顔を比較してみたらいい。異常なほどのスピード感で走り続ける産業の最先端で、ジェットコースター経営を陣頭指揮で3年続けると、さしものタフネスの顔にもこんな疲労が刻み込まれるものか、と思う。

 「I'm a public company. Every day I'm for sale.」(上場企業だということは、いつだって売りに出ているということさ)

 「もしOracle社の株価が2ドルまで下がったら、私だってOracle社買収を考える」

日本でしゃべった「株価が下がったら買収検討に入る」などというレインの言葉には何の意味もないのだ、という気持ちをこめてバークスデールはこう語るが、レイン発言へのいらだちを隠し切れない。

 そして、3月31日、Netscape社はブラウザ「Communicator5.0」の開発者向けソースコードの無料公開に踏み切った。赤字転落、リストラ案発表直後のソースコード公開には、産業界の誰もが呆然とした。企業の基幹製品の知的財産そのものを無料公開して、果たして勝算はあるのだろうかと。

Netscape社 vs Microsoft社の本質
 インターネットにおける「無料」の概念は、「有料ソフト」で一大帝国を築くMicrosoft社への挑戦者・Netscape社が持ち込んだものといっていい。

 「ソフトを開発したら、まず無料配布して顧客シェアを獲得し、金儲けは後から考える」という文化をインターネットの世界にもたらしたのがNetscape社だったのだ。後世の歴史家が、20世紀後半から21世紀にかけてのソフト産業を振り返ったとき、この出来事を「ソフト産業史における大転換点」とでも位置づけるのではないかと、私は思う。

 Netscape社は、94年11月、自社のWebサイトへの「アクセスを無料」にし、そのWebからブラウザを「無料配布」することにした。ブラウザ「無料配布」のスタートは、「試用版無料」くらいの軽い気持ちだったかもしれない。しかし「無料配布」の反響はすさまじく、あれよあれよと言う間に、世界中の人がNetscape社のブラウザを使うようになるまで、あまり時間がかからなかった。「無料」と「産業のスピード感」とは明らかに相関関係があった。

 こうしてインターネット時代の幕が切って落とされたとき、Netscape社はとにかくこの流れを押し進めて、前へ前へと走っていく道を選んだ。

 普通に考えれば、莫大な開発費を投入して作ったソフトを「無料配布」してしまっては事業にならない。しかしソフトのような知的所有権型事業の場合、初期開発投資は大きくても、限界製造コストはタダに近いから、「事実上の標準」を握って寡占状況を作ってしまえば、金儲けのネタは後からいくらも見つかるだろう、とNetscape社は考えたわけだ。

 95年当時から今も続く「シリコンバレーのインターネット・ブーム」は、売上や利益がきちんと立たなくても、将来の可能性が大きければ、資金調達に全く困らないという状況を生みだし、Netscape社のこの思想を後押ししたのである。

 危機感を抱いたMicrosoft社は、ビル・ゲイツの強力なリーダーシップのもと、以来、持てる力のすべてを使ってNetscape社を猛追した。そして、開発に成功した競争商品を、逆に今度は「無料」で自社OS(Windows)の一機能として統合してしまったのである。ちなみに、このことの是非が、今、米司法省によるMicrosoft社独禁法違反提訴で問われているわけだ。

 「無料vs無料」の不思議な競争が、Netscape社vsMicrosoft社の本質である。ただし、Microsoft社が「有料製品への無料での統合」だから事業が成立するのに対し、Netscape社の場合は「本物の無料」だから、どこかに「無料の対価」を求めていかなければならない点が違う。ここにNetscape社の苦悩の源泉がある。

 Netscape社の「ソースコード無料公開」は、製品レベルが「無料vs無料」になってしまったから、さらにもっと大切なものまで「無料」にして、何とか「無料の価値」を高くすることで、「無料の対価」を見つけようとする最終兵器だといっていい。

 「ソースコード無料公開」によって、世界中の開発者が自由にソースコードをダウンロードして、修正・改良を加えてNetscape社に還元すれば、彼らがボランティアで新製品開発に参加したことになる。Netscape社は、一夜にして世界中の開発リソースを手にすることになり、Microsoft社との開発競争に勝つであろう。これがNetscape社の論理である。

 もともとソフトウェア開発者の中には、「自分が開発したソフトウェアを無料配布して、世界中の人たちが利用する」ということにのみ強い価値を感じ、「ソフトウェアに値段をつけて売る」ことに嫌悪感を示す「不思議な文化」が存在している。特にインターネットの発展を支えてきたと自負するソフトウェア開発者たちに、この傾向が強く見られる。信仰にも近いこの「不思議な文化」が、Netscape社の新戦略の背景にある。UNIXコンピュータ用のWebサーバ・ソフト「Apache」、PC用UNIX「Linux」の思想もまったく同様の文化に根ざしている。

Netscape社はどこへゆく
 Netscape社が「有料」にするものは何か。つまり、ビジネスとして成立させていこうと考えている分野はどこか。

 1つは、大企業向けのサーバ・ソフトとコンサルティング・サービス事業。もう1つが、Netscape社のWebサイト「ネットセンター」事業である。

 「ソースコード無料公開」によって、ブラウザのシェアを回復すれば(Microsoft社に対する司法省の独禁法訴訟の行方がこの仮説に大きな影響を及ぼすが)、この2つの有料事業が成立するに違いない、とNetscape社は考えているわけだ。

 97年第4四半期のNetscape社の売上高比率は、ブラウザ13%(サポート付きの有料製品の分)、大企業向けサーバ関連事業70%、「ネットセンター」事業17%である。つまり、この全くゼロになってしまうブラウザ13%の売上げを補って余りあるほどの成長を、残り2つの有料事業からたたき出さなければならない。

 特に「ネットセンター」事業の成否が、Netscape社の将来の鍵を握っている。Netscape社のブラウザをダウンロードして、インターネットにアクセスすると、まずつながるのが、Netscape社の「ネットセンター」というサイトである。これは、ユーザが好むと好まざるとに関わらず、ブラウザの設定条件の1つである「最初にどこにつなぐか」を、Netscape社があらかじめ設定しているからだ。

 Netscape社のブラウザのユーザは現在6,800万人と推定されている。この6,800万人がアクセスする対象として「ネットセンター」をとらえたら、それはテレビ・ネットワークにも匹敵するスケールの新メディアとしての条件を十分に満たしている。ならば、将来の莫大な広告収入を見込むことができる。

 今、Netscape社の「ネットセンター」も含めて、米国で最もホットで熾烈な競争として注目を集めはじめているのが、「インターネットにつないだとき、どこに最初につながるか」という競争なのである。

 Netscape社のブラウザの初期設定が「ネットセンター」になっていたとしても、面白くて役に立たなければ、設定を変更して、Yahoo!のサイトや、朝日新聞のサイトにでもしてしまえばいい。しかし、初期設定でつながるサイトが、ありとあらゆるニーズにきめ細かく対応してくれれば、大多数のユーザはそれに満足して設定変更することなく、使い続けることになる。

 それで成功を収めつつあるのが、America Online社(AOL)の広告収入事業である。AOLは、昨年、オンライン・サービス市場で競争していたCompuServe社の顧客ベースをすべて買い取り、顧客数は1,200万人を超えた。AOLの月額21.95ドルのインターネット接続サービスでインターネットにアクセスすると、まずつながるのは、AOLのサイトである。AOLのサイトは、オンラインサービス出身だから当然なのだが、素人がインターネット上のリソースにアクセスするための「かゆいところに手が届く」ようなガイドが用意されている。だから大多数のユーザが、初期設定をAOLから他のサイトに変更することなく、インターネットにアクセスするたびにAOLのサイトに自動的にアクセスするようになっている。

 そんな顧客が、毎年毎年どんどん増え、AOLサイト自身のメディアとしての価値がどんどん高まってきたのである。結果として、AOLの四半期ベースでの広告収入は、1億ドル(約130億円)を超えてしまった。立派なマスメディアに成長したのである。単純に4倍して年間売上げを推計すれば、97年度のNetscape社全体の売上高にほぼ匹敵するほどの巨大さだ。

 Netscape社はこれまで、「ネットセンター」のサイト自身を魅力的なものとする努力を怠ってきた。広告収入を主体とするビジネスではなく、ソフト・ビジネスを指向してきたからだ。だからこれまでは、自分の好みのサイトにまずつなぐように設定変更を行なったユーザも少なくなかった。

 しかし今、Netscape社のブラウザのシェアを巨大な資産と考えれば、「ネットセンター」サイトを徹底的に強化することで、ブラウザ・ユーザをできるだけつなぎとめ、AOLが成功させているのと同様の「広告収入を主体とした事業」を作り得る。こんな事業構想に大きな期待をかけているのである。

 もちろん競争は厳しい。広告収入をめぐってのAOL、Netscape社も含めた熾烈な競争の主役は、またまた当然ながらMicrosoft社、そしてサーチエンジン大手のYahoo!、Excite、全くの新規の参入者としてDisney社といった顔ぶれである。Netscape社が勝利を収める保証はまったくない。ただ、競争に参加できるきっかけとなる資産があるに過ぎないのだ。

 「The browser is our way of creating a brand. Brand is king.」(ブラウザによってブランドを確立するのが我々のやり方だ。ブランドがこの世界で最も大切なことだからだ。)The browser is our way of creating a brand. Brand is king.」(ブラウザによってブランドを確立するのが我々のやり方だ。ブランドがこの世界で最も大切なことだからだ。)

 バークスデールは、この新しい世界での競争におけるブランドの重要性と、ブランド獲得のためのブラウザ・シェア奪回の意義についてこう語る。
 Netscape社の生き残りを賭けた大戦略転換は、今、始まったばかりなのである。

ページ先頭へ
Home > The Archives > コンセンサス

© 2002 Umeda Mochio. All rights reserved.