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パソコン産業の変質が始まった1998年

1998年12月1日[コンセンサス]より

Apple社起死回生のヒット商品「iMac」
 1998年10月14日、Apple Computer社は、98年度(97年10月〜98年9月)決算を発表。純利益が、3億900万ドルに達し、通年決算では3期ぶりの黒字を達成した。このところ赤字続きで良いニュースを発表できなかった同社は、株式市場が閉じた後に収支を発表するのが通例となっていたが、今回ばかりは、株式市場が開いている時間帯を選んで、勝利宣言さながらの収支発表となった(図参照)。

「Steve had saved Apple.」(スティーブがアップルを救ったんだ)

 共同創業者のスティーブ・ジョブズが、暫定CEOとして実権を握ってから約1年。この言葉に象徴されるように、数代のCEOが成し遂げられなかった再建をこの短期間でやってのけたジョブズの手腕は、見事というしかない。彼が暫定CEOに就任した当時の株価が17ドル。10月14日決算発表後の株価は、40ドルを越えた。

 ジョブズの再建施策の骨子は、(1)一般コスト削減(研究開発費の半減、人員削減)、(2)在庫の削減、受注生産を含めたサプライチェーン・マネジメント革新、(3)製品戦略の転換(多様化しすぎていた製品ラインを集約)によるヒット商品の創出、の3つであった。

 Apple Computer社のパソコン市場での世界シェアは、94年の8.3%から、98年初頭には4%と半減し、ピーク時の約半分の売上げで利益を出せる体制とするには、まず「(1)一般コスト削減」は必須項目であった。また、本連載3月号で解説したように、パソコン産業はDell Computer社が持ち込んだ新しい競争のルールに、否が応でも対応せねばならなくなったのだから、パソコンを主要製品として生きていく同社が、「(2)在庫の削減、受注生産を含めたサプライチェーン・マネジメント革新」に邁進したのも当然の流れであった。そして、問題は「(3)製品戦略の転換によるヒット商品の創出」の正否であった。

 (1)、(2)は再建にどうしても必要な執行(Execution)項目で、力づくでも実現していくべき性格の施策であるが、(3)を成功に導くには、時代の流れを見通すビジョナリとしての創造性が必須である。ここにジョブズの才能がいかんなく発揮されたと言っていい。

 今回の黒字転換が、「後ろ向きの施策」の集積だけによってもたらされたものであったなら、株価もここまでは上がらなかっただろうし、「スティーブがアップルを救ったんだ」などという巷の会話も聞こえてこなかったに違いない。

 ジョブズの生み出した起死回生のヒット商品の名を、「iMac」という。「iMac」は、インターネット・マッキントッシュの意味である。「インターネット時代のパソコンとは何か」というテーマに対する、ビジョナリとしてのジョブズの回答だとも言い換えられるだろう。

 「iMac」は、コンシューマ向けのディスプレイ一体型パソコン。米国での発売開始は8月15日。価格は1,299ドル。発売約6週間で28万台を売り切った。日本での発売開始は、米国に遅れることたった2週間の8月29日。価格は17万8,000円。発売約1ヵ月で4万台の販売実績を上げた。

 白と青の半透明プラスティック・卵型のボディは極めて斬新なデザイン、CPUにはプロ向けマッキントッシュに採用した「Power PC G3(233MHz)」(Motorola社製)を標準搭載、ハードディスク容量は4GB、基本性能を高めることに注力し、コスト・パフォーマンスは非常に高い。

図 Apple Computer社の業績推移

Apple Computer社の業績推移(売上げ)

Apple Computer社の業績推移(純利益)

低価格化が進むパソコン産業
「iMac」がなぜ「インターネット時代のパソコンなのか」について議論する前に、米国パソコン産業の最前線で何が起こっているかについてまとめておこう。

 表は、8月の米国パソコン小売り市場・売上げベスト7である。「iMac」は、発売半月ながら第5位に食い込んでいるが、まず注目すべきは、他の6機種のすべてが「iMac」(1,299ドル)より低価格だということである。

 このパソコン産業の低価格化に追い討ちをかけるように、10月に入ってから、以下のようにいくつか衝撃的な発表が相次いだ。

▼10月6日
E-Machines社は、同社の399ドル・パソコン「eTower」(ディスプレイ込みで499ドル)の最初の出荷分20万台はすべて米国小売業者に完売したと発表。同社は、韓国パソコン大手のTrigem社と韓国ディスプレイ大手のKorean Data Systems社が後押しするベンチャー企業。米国家庭でのパソコン利用が約45%にとどまっている理由は価格の高さにあり、ディスプレイ込みで500ドル以下の製品投入によって、新しい顧客が開拓できるはずだとの思想に基づく。「eTower」は、National Semiconductor社のCyrixプロセッサ搭載。3.2GBのハードディスク、CD-ROM、56kbpsモデムを標準搭載する。
▼10月12日
Compaq Computer社は、同社の699ドル・パソコン「Presario Internet PC」を発表。「iMac」およびHewlett Packard社のコンシューマ向けパソコンを競争者として強く意識している。No.1パソコンメーカであるCompaq社のこの価格設定は、パソコン業界の価格設定の新しい基準になるだろうと推測される。「Presario Internet PC」は、National Semiconductor社のCyrixプロセッサ搭載。4GBのハードディスク、64MBメモリ、56kbpsモデムを標準搭載する。
▼10月15日
IBM社は、同社の1,499ドル・ノートパソコン「ThinkPad I 410」を発表。デスクトップ型ではなくノートパソコンをメインマシンとして使う個人ユーザをターゲットとする。2,000ドル以下のノートパソコンでは、デュアルスキャン・ディスプレイの搭載が常識だったが、12.1インチ・アクティブ・マトリクス・ディスプレイを採用。「ThinkPad I 410」は、Intel MMX Pentium (266MHz)搭載。32MBメモリ、CD-ROM、モデムを標準搭載する。

 米国パソコン市場の場合、まもなく、「デスクトップ型は500ドルから1,000ドル」、「ノートブック型は1,300ドルから1,800ドル」あたりを中心に、個人用売れ筋製品の価格が設定されていくのであろう。日本市場も「デスクトップ型は10万円から15万円」、「ノートブック型が20万円から25万円」あたりが中心となるのではないかと考えられる。

 表および、10月以降の一連の発表記事を見て気づくもう一つのトレンドは、Intel社製マイクロプロセッサのシェア低下である。

 表の売れ筋7機種のうち、Intel社チップは、第2位の「Compaq Presario 5030」(Pentium II 300MHz)と第4位の「Compaq Presario 5020」(Celeron 300MHz)の2機種だけとなっている。AMD社のK6シリーズが第1位「HP Pavillion 6330」を含めて3機種、National Semiconductor社のCyrixチップが1機種、Motorola社のPowerPCが「iMac」1機種となっている。

 10月以降の一連の発表を見ても、E-Machines社の「eTower」およびCompaq社の「Presario Internet PC」には、National Semiconductor社のCyrixチップが採用されている。

パソコン機種 搭載マイクロプロセッサ 価格(ドル)
第1位 HP Pavillion 6330 AMD K6-2 300MHz 915
第2位 Compac Presario 5030 Intel Pentium II 300MHz 1,243
第3位 Compac Presario 2256 AMD K6-2 300MHz 875
第4位 Compac Presario 5020 Intel Celerol 300MHz 1,060
第5位 Apple iMac Motrola PowerPC G3 233MHz 1,299
第6位 IBM Aptiva AMD K6-2 300MHz 953
第7位 Packerd Bell-NEC M730 Cylix MII 266MHz 799
98年8月の米国パソコン小売り市場・売上げベスト7

インターネットが主役、パソコンは脇役の時代に
 1998年は、「インターネットの影響で、パソコン産業の変質が始まった年」として記憶されるに違いない。Apple 社・起死回生のヒット商品「iMac」も、この文脈で記憶されるコンピュータだと考えられる。

 パソコンという製品は、70年代後半に生まれてからの約20年間、特にIBM-PCの登場以降の約15年間、「パソコン上のアプリケーションソフトの可能性」が鍵を握る商品であり続けてきた。

 パソコン産業初期からの「三種の神器」(ワープロ、表計算、データベース)に加え、DTP(デスクトップ・パブリッシング)ソフト、ゲームソフト、各種業務用ソフトなどなど、「アプリケーションソフトが豊富に揃う可能性」を持つOSが顧客に選ばれてきた。その結果、「OSはMicrosoft社のWindows、チップはIntel社のPentium」というウィンテル支配という独占形態が生まれたわけである。

 そしてさらに大切なことは、「将来使うかもしれないアプリケーションソフトが動く可能性」を残した比較的性能の高い機種が、これまでは売れ続けてきたということだ。その結果、「売れ筋商品の価格帯はあまり下がらず、同じ価格帯の製品の性能が飛躍的に向上する」ことが続き、パソコン・メーカの収益性もそこそこ保たれるという産業構造が生まれたのである。

 このパソコン産業独特の産業構造が、ずっと述べてきたように、今年は、大きく変わった年なのだ。

 ポイントは、「パソコン上のアプリケーションソフトの可能性」よりも「インターネット上でのコンテンツやサービスの可能性」の方が大切になったことだ。

 パソコンにとってのキラー・アプリケーション(つまり何のためにパソコンを買うかの動機)が、「三種の神器」をはじめとする「パソコン上のアプリケーションソフト」ではなく、Yahoo!やAmazon.comのような「インターネット上でのコンテンツやサービス」だと考える顧客が激増したのである。

 だから、「パソコンはインターネット・アクセスをはじめとする必要最小限の機能を持っていれば拡張性があまりなくてもよい」と考える顧客層が増え、売れ筋パソコンの価格帯がぐっと下がってしまったのだ。そしてその結果、チップの世界でも、Intel社のシェアが、ローエンド・チップのNational Semiconductor社やAMD社に食われ始めたのである。

 戦後まもなく始まったコンピュータ産業の歴史を世代分けすれば、第1世代はメインフレームの時代、第2世代はパソコンの時代、第3世代がインターネットの時代となる。第3世代は、Netscape社が誕生し、「Navigator」(ブラウザ)をリリースした94年から始まったといえるだろう。

 IBM-PCの登場(81年から82年頃)をもって、第2世代・パソコン時代は幕を開けたと考えるのが普通であるが、第1世代の覇者IBM社の業績ピークは、第2世代が始まって数年が経過した84年から85年頃であった。IBM社が赤字転落する91年までにはさらに5年以上の歳月を要している。

 98年。第3世代の始まりから数えて5年目にして、パソコン産業は変質を始めたのである。まさに歴史は繰り返しつつあるわけだ。

 94年から97年まで、インターネットとパソコンは相互に好影響を与えつつ市場を拡大してきたが、このインターネットとパソコンの「無条件の蜜月時代」は終焉し、パソコンが「主役であるインターネットとの関係性をより強く意識した脇役的製品」に変質していかざるをえない時代に入ったのが、今年、98年なのである。コンピュータ産業における第2世代から第3世代への本質的移行が本格化し始めたのである。

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