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業務執行に逃げ込む時ではない

2001年10月22日[日経ビジネス]より

 「あるところで、サーカスの象が逃げ出しました。象はお腹をすかせて、近所の民家に入っていきました。その家の家族はそろって食事中でした。皆それぞれ、窓の外に象の姿を認めて、心中あせったのですが、『うちの庭に象がいるはずがない。だから、これは夢である』という結論に達し、無視して会話と食事を続けていました。そのうち象は窓を壊して、家の中に入ってきました。それでもまだ、家族は夢だと思って黙々と食事を続けました。さらに象は床を踏み壊しながら進入。その段階で、家族は顔を見合わせて、やっと夢ではないことを悟り、命からがら逃げ出しました…というのは、北海道で本当にあった話です」

 9月11日の米同時テロ事件の衝撃から数日後、機知に富んだ友人からこんなメールをもらった。これは事件以降、今も継続中の「日本の物語」として読むべきなのである。

 9月11日、世界の不確実性は急激に高まった。その時日本企業はどう対応したか。あえて「経営」と「執行」という言葉を使って、その解明を試みるとすれば、日本企業の多くが「執行という名の日常」に逃げ込んでいったと言える。危機の深刻さを正確に認識せずに、針の穴を通すような確率の「希望のシナリオ」を勝手に思い描き、せっせと「執行」にのみ精を出すことを、私は「経営」だとは思わない。

 ちょっとでも感受性が確かならば、9月11日の衝撃が、対応次第では世界戦争と世界恐慌の発端となり得るだけの大事であることは、瞬時に理解できたはずである。その危機は今もって継続中で、それを何とか回避するために、今、人類の英知が試されている。

有事こそ問われる経営の胆力
 そんな「世界の成り立ち」を揺るがすような有事における「経営」とは、世界の現実を直視し、これから生起するかもしれない不測の事態に対する「思考の枠組み」と「対応の構え」を迅速に用意することである。長期的に起こるはずの構造変化に対応するための「新しい経営構造」作りに着手し、最悪の事態に至った時にはどんな苦しい決断をしなければならないかを明確にし、その決断を瞬時にできるための準備をし、覚悟を決めておくことだ。

 そして、守りだけではなく「激変をチャンス」ととらえた攻めの戦略にリソースを投入するしたたかな視点も欠かせない。高い見識と志に裏打ちされた知性をフル回転させて難局に処し、危機の推移を見つめながら「執行」サイドに適切な指示を出し続けるのが「経営」の役割である。

 「経営」という言葉を、当事者意識と戦略性と言い換えてもいい。危機に際して、パニックにもならず、かといって思考停止にも陥ることなく、サバイバルをファーストプライオリティー(最優先事項)に、組織としてアドレナリンを出す。しかも冷静に知的に。それが「経営」だと思う。

 米国で何が起ころうと確かに日常は粛々と続いていく。経済は決して不連続ではない。無論その通りだ。「執行」サイドまでが浮足立つ必要はない。だからこそ今、「経営」と「執行」の分離が重要なのである。

 有事には、平時では想像もつかないようなことがいとも簡単に起こる。マイカルの倒産にしても平時ならばもっと議論があっただろう。これからの不良債権処理をめぐっても、影響が巨大で不可逆な変化が次々と発生するはずだ。有事の政策が世界各国で採択されたり、買収、合併、大型提携といった大きな環境変化が日本でも相次ぐだろう。こういう時に冒険的な欧米金融資本は、ビジネスチャンスと見て日本に参入してくるに違いない。9月11日を機に、日本は世界危機回避のために、安全保障と経済再建という10年がかりで先送りしてきた問題を即時解決しなければならない、という未曽有の危機に直面しているのである。

 この危機に際し、日本企業は「経営」に知性と胆力を集めなければ、「象に踏みつぶされる家族」となってしまうであろう。

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