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9・11以前の議論を再考すべき時

2002年1月14日[日経ビジネス]より

 「このホリデーシーズン(感謝祭からクリスマスまで)は、9月11日から続いていた米国人の緊張の糸がやっと少し緩んで、初めてふーっと大きな息を吐いた時だったのだろう」

 底割れせずに持ちこたえた2001年末の米個人消費動向について、友人の米国人は私にこう言った。「もっとひどい状況は十分にあり得た」という意味で、テロ後の米国の現状に安堵する気分が米消費者信頼感指数や米景気先行指数を改善に向かわせている。

 しかしそんな今だからこそ、9月11日の直前に、私たちは何を議論しようとしていたのかを思い出さなければならないと思う。同時多発テロのあまりにも大きな衝撃のために、本来ならば今頃活発に行われているはずの重要な議論が吹き飛ばされ、あるいは棚ざらしになったまま放置されているからだ。

供給者地獄は変わっていない
 それは、ニューエコノミー論の総括である。例えば、グリーンスパン米連邦準備理事会(FRB)議長が「100年に1度のことが起きている」と評価した「ニューエコノミーへの期待」ゆえに、ダウ工業株30種平均とS&P500種株価指数は、1998年から99年にかけてぐっと高騰した。それ以来、テロ直後の落ち込みを除けばほぼ安定して高値で推移している(ナスダックはかなり調整済み)。しかしこの株価が適正な水準にあるかどうかは、ニューエコノミー論の評価に依存する。

 9月11日直前の段階で、米国の一部有識者が抱き始めていたのは、ニューエコノミー論の根拠となった「情報技術(IT)化とグローバリゼーション」という現象は、消費者にこそ著しい便益をもたらすものの、供給者全般、つまり産業全体に対しては、むしろマイナスに作用する可能性もあるのではないかという懐疑だった。

 もちろん一企業の立場から見れば、IT化とグローバリゼーションは強力な経営の道具である。しかし、ある産業の参加者がこの強力な武器を持って熾烈な競争を行えば、供給者は1社か2社の強者を除き疲弊し、産業の非効率性は改善されてもそれに伴って失業率が高まっていくのではないかと。

 クリントン政権で労働長官を務めたロバート・ライシュ氏が「消費者天国・供給者地獄」と表現し、戦略論の大家マイケル・ポーター氏が「ネットが産業構造に与える影響は総じてマイナスで、収益性を悪化させる方向で産業構造を変える可能性が高い」という論考を発表したのは、2001年の初頭から半ばにかけてのことだった。

 そして同年9月3日に「米ヒューレット・パッカード(HP)とコンパック・コンピューターが合併する」(その後、HP創業者一家の反対などで実現が危ぶまれているが)との報が流れた時には、IT化とグローバリゼーションの権化とも言うべき米デルコンピュータが仕掛けた過激な価格競争によって、競争に参加するほぼすべての企業の収益性が著しく悪化してしまったパソコン産業の姿に、私たちはニューエコノミーの過酷さを垣間見た。そして1990年代後半に上昇しバブル崩壊とともにある程度調整されたPER(株価収益率)に、さらなる調整も必要ではないかとの議論も出始めていた。9月11日の衝撃が米国を襲ったのはちょうどそんな頃であり、以来この議論はなぜか立ち消えになっている。

 「テロには屈しない」という決意が牽引する救国相場と利下げによる流動性相場の組み合わせによって、年末年始の米株価は高値で安定した。不確実性に包まれながらも「大規模テロの再発さえなければ」という条件つきで「経済は最悪期脱出」「今年後半には経済回復」といった強気の意見も出始めている。だが、ニューエコノミー論の総括を株価に織り込みつつの「ゆったりとした回復」が精いっぱいのベストシナリオと、相変わらず緊張感の伴う視線で見つめるのが堅実であろう。

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