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市場を拒む日本の共同体意識

2002年4月1日[日経ビジネス]より

 「日本経済再生のためには間接金融中心から、直接金融中心の資本市場を構築するための構造改革が不可欠だ」

 「民間の預金・貸し出しルートや郵便貯金・簡易保険・公的年金ルートから資本市場ルートへと、資金循環の仕方を変えなければならない」

 こんな提言が繰り返し行われてきたが、日本はほとんど何も変わっていない。「資本市場への信頼感」は相変わらず著しく低いままである。「株価には興味がない」と公言する一部の上場企業経営者はさすがに少数派だろうが、「IR(投資家向け広報)は必要悪」と内心では思っている経営者がかなり多いことはその表れであろう。

 「その根底には何があるのだろう」といつも考えるのだが、ひょっとすると、「直接金融中心の資本市場」の根幹に存在する「企業価値」という概念、つまり「企業に値段をつける」という考え方自体に、日本社会は強い違和感を持っているのかもしれない。「企業に値段をつける? そんなこと誰にできるんだ? 市場? そんなわけないだろう」という感覚が、広くあまねく存在しているのではないか。少し前まで間接金融で回っていた日本経済では、企業価値などという概念はほとんど不要だったのだから。

 直接金融の仕組みは、企業価値が算出できないと一切機能しない。ところが、企業価値を例えばDCF(ディスカウンテッド・キャッシュフロー)法などで計算したことのある人ならば、その算出過程でどれほど多くの「将来の不確実性」が仮説のまま数値化されるか、そしてその数字を恣意的にいじれば価値評価額がどれほどがらりと変わるかを、よく知っているだろう。

 また、未公開ベンチャーや破綻寸前企業の企業価値算出の理論的根拠はさらに薄く、いくつかの理論値を参考にはするが、最後は企業と投資家との間の交渉で、かなり乱暴に企業価値が決められることも多い。

虚構性を超克する努力を
 現代の米国ビジネス社会とは、企業価値という概念に潜むこうした虚構性を、様々な新しい理論や過去の膨大な経験の蓄積でこれでもかこれでもかと肉づけしながら、資本市場にできるだけ納得感のある仕組みを作ろうとする営みが続けられている世界である。そしてその前提には、経済の繁栄は、資本市場が健全に機能することによってもたらされるという信念がある。ITバブル崩壊や米エンロン破綻が起こっても、この信念だけは揺るがない。

 企業サイドはもちろんのこと、ベンチャーキャピタリスト、アナリスト、インベストメント・バンカー、プライベート・エクイティ・ファンドのマネジャーたちが、虚構性をできるだけ払拭するために「最も妥当で合理的に説明可能な企業価値を算定する」という作業に心血を注いでいる。この作業の厚みと真剣度において、日米の間には大きな差があるように思えてならない。

 「共同体」という性格がどうしても強い日本企業の経営者は、人の要素をすべて無機的に数値化して「企業に値段をつける」直接金融の世界に、強い違和感を抱き続けているのかもしれない。「企業の将来計画など、人次第でどうにでもなるではないか」という懐疑が「企業価値に含まれる虚構性」をことさらに想起させ、それゆえに資本市場と真正面から向き合うエネルギーを奪っているのではないだろうか。

 資本市場が退出を迫る企業を債権放棄などによって救済する論理の背景にも、「共同体たる(素晴らしい)企業」を「虚構性を内包する(いい加減な)資本市場」が選別することなどできるものか(させてなるものか)、という情緒的拒絶反応がありはしないか。もしそうだとすれば、冒頭の提言が実現に移される日は、日本にはしばらく訪れないのだろう。日本に今必要なのは、虚構性ゆえの拒絶ではなく、虚構性を超克する真摯な努力なのである。

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