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ネット社会 時計の針を戻すな

2006年1月25日[産経新聞 一面]より

 一月二十三日、東京地検特捜部は、ライブドアグループの堀江貴文社長らを証券取引法違反容疑で逮捕した。

 堀江前社長とライブドアは、特にここ一年、ネット企業や起業家主導型経済という「新しい潮流」を日本において体現する存在として脚光を浴びてきた。そんな「時代の寵児(ちょうじ)」の転落を見て、「新しい潮流」全体を、日本が否定する方向に向かっていきはしないかと、私は強く危惧(きぐ)する。

 今後の捜査によって詳細が明らかにされる「ライブドアグループ固有の問題」と、インターネットの可能性を追求するネット企業群や、それを支える起業家主導型経済や、そこに特有の新しい経営手法の意義は、明確に分離して議論する必要がある。

 ライブドアグループが「錬金術」の仕掛けを埋め込んだと報じられている「大企業の成長戦略の中核にベンチャー企業買収を据える思想と経営手法」は、一九九〇年代のシリコンバレーで生まれた大きな経営イノベーションであった。

 洋の東西を問わず、新技術や新事業の創出はリスクが大きい。成功確率も低い。ハイリスクを承知の上で挑戦する多数の起業家のエネルギーによって、経済成長のための新市場創造活動が活性化する。起業家主導型経済のメッカ・シリコンバレーは、個々の挑戦者(起業家)には「失敗しても返さなくていいカネ」(リスクマネー)を用意し、企業の多産多死という厳しい淘汰(とうた)の環境を、三十年以上前に、世界に先駆けて整備した。そこからインテル、アップル、シスコ、グーグルといった世界企業を生み出してきた。

 自らが「時の大企業」に戦いを挑んで勝利を収めて成長したこうした世界企業は、当然のことながら、若い新勢力の台頭に敏感であった。その創造性と挑戦意欲に対して深い敬意を示してもいた。そしてこう考えた。

 「シリコンバレーには、試行錯誤と自然淘汰の末、強いベンチャーが生き残ってくる風土がある。自分たちもその中を勝ち抜いてきた。そんなベンチャーを大企業内で生み育てることは難しい。ならば買おう。そして評価と敬意を、高い買収価格という形で具現化させよう。ベンチャーが生む新しい事業の種と、それを一気にグローバルに育て得る大企業の資金力と組織力を結びつけられれば、大企業も力強く成長し続けることができる」

 これがシリコンバレーの世界企業による経営イノベーションの真髄だったのである。

 しかし、「ベンチャーの未知の魅力を高く評価する買収価格をどう正当化するか」「ベンチャー買収後の会計処理はどうすべきか」といったことを筆頭に、この経営イノベーションには未解決課題が山積されていた。そこを何とか、シリコンバレー独特の「徹底的な技術志向と市場創造志向」という筋肉質な精神によって補強しつつ、真摯(しんし)な試行錯誤が十年にわたってこの地で繰り返されてきた。その結果、成長を希求する大企業では、年に少なくとも数社のベンチャー買収によって、成長の仕組みと同時に、組織に新しい血が常に流れ込む仕組みができて、現在に至っている。

 しかし同時に、シリコンバレーで生まれたこうした新しい考え方が九〇年代半ばから全米へ、そして九〇年代末から日本へと輸出されていった。その過程で米国では、二〇〇二年、新興通信大手ワールドコムが会計スキャンダルで瓦解した。新経営手法のシリコンバレー精神を換骨奪胎し、買収対象をだんだんと大型化し、その過程で株高を維持するための会計操作を行う。堀江社長逮捕はこの誘惑が日米共通のものだった可能性を示唆している。ワールドコムが「米国における特異点」であったように、ライブドアも「日本における特異点」であってほしいと切に願う。

 私は仕事柄ここ十年、日本の情報技術(IT)企業の幹部と定期的に議論を続けてきたからよくわかるが、二〇〇〇年のネットバブル崩壊を機に、日本のエスタブリッシュメント社会は、ネット社会の台頭を軽視する方向に流れた。ネットという新現象から自分たちが理解できる事柄だけを選び、自分たちが対応できる速度で吸収すればいいだろうと油断した。それが東証システムの時代遅れの遠因でもあることは、肝に銘じておかなければならない。

 今回のライブドアショックで、再び日本が時計の針を戻さぬよう、警鐘を鳴らしておきたい。

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