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リーナスは何を思う

1999年8月23日[日経産業新聞]より

 Linux販売サポート最大手のレッドハット・ソフトウェアがついに株式公開(IPO)を果たした。公開価格(14ドル)が公開日の8月11日(水)には52ドルまで上がり、週末の13日(金)終値はさらに85ドルまで上昇した。公募価格の約6倍。13日(金)時点でのレッドハットの株式時価総額は約57億ドル。創業者でCEO(最高経営責任者)のボブ・ヤング(持ち分は14%)は数日にして、約8億ドルの個人資産を手にした。

 6月21日付の本欄「レッドハット株式公開」で、私はレッドハット株式公開に対する違和感について書いた。重複になるがあえて再掲する。

 『私の「何だか釈然としない」気分の源泉は、どうも次の三つにあるらしい。

 (1) 昨年からのレッドハット疾走のプロセスがあまりにも出来レース的で「成功を約束された感動のない疾走」だったように感じること。

 (2) Linux開発者の無償行為の周辺でレッドハットの経営者たちがいささか安易に莫大(ばくだい)な富を築くことに対して、何だか理不尽だなあと感じること。

 (3) 「レッドハットは21世紀のミニ・マイクロソフトか?」などという米国の論調を読むと、「マイクロソフトは憎らしいほどに厳しい兢争を仕掛けたりいろいろと問題はあったけれど、少なくとも自らソフトウェアを開発することで付加価値をきちんと創出していたではないか」と逆に無性に反発したくなってしまうこと。

 情報技術産業の重点が製品事業からサービス事業にシフトしていることは明らかだ。しかし「かたやボランティア・プログラマーかたや株式公開」という極端な対比において、製品無償・サービス有償の事業モデルがこんなにまで鮮やかに提示されてしまうことに、私はどこかで違和感を感じているのかもしれない。』

 他のテーマの時に比べてずいぶん多くの反応が読者の方からあった。反応の約80%が「自分もその違和感に同感」というもの。約20%が「それがルールなんだから別にいいじゃないか。利益を上げずに株式公開する企業と一緒だと思う」というもの。

 面白いことにその原稿を書いた当時の私の中での葛藤(かっとう)も「8対2」くらいの感じで違和感が勝り、結果として活字にすることにしたのである。

 依然、この違和感は私の中から消えない。それが具体的に時価総額57億ドルとか個人資産8億ドルといった数字を突きつけられると、さらに気分が沈む。

 昨年8月17日付の本欄「ソフト開発「革命前夜」」と題して、私はLinuxの台頭について初めて取り上げた。たった1年前だが、当時Linuxを知る人はほとんどいなかったように思う。今となっては、もう言うまでもないことかもしれないが、Linuxとはもともとはフィンランドの学生、リーナス・トーパルズによって開発され、その後、世界中の優秀なプログラマーたちの無償で自発的な開発行為によって深化を続けてきたOS(基本ソフト)である。

 今ごろリーナスは何を考えているのだろう、とふと思う。 今年1月、私の「仕事始め」はある事情があってリーナスの自宅を訪ね、彼と話をすることだった。その頃は、すでにインテルとネットスケープがレッドハットに投資済み(昨年9月)で、IBM、ヒューレット・パッカードなどの大企業のLinuxへのコミットメントもほぼ固まっていた。つまり、レッドハットの「出来レース的疾走」が始まっていた時期だった。

 雑談の中で私はリーナスに彼の「レッドハット入りの可能性」について尋ねた。シリコンバレーはどんなことでも起こりうる場所だからだ。

 「Linux開発リーダーとしてLinuxの象徴でもある自分が、特定の陣営に入ることはできない。Linuxにかかわる事業を展開する各社と等距離を保つことは、Linuxを普及させていく上で絶対条件なのだ」

 彼は即座に答えた。レッドハットのこんなに早い株式公開を彼がどこまでイメージしていたかはわからない。しかし「無償のLinux」を販売・サポートするだけの事業会社、レッドハットの時価総額が数千億円規模になることをイメージしていたとは、とうてい考えられない。

 リーナス・トーパルズ(29歳)という男は「プログラムを書くことが好きで好きで仕方ない、実に良質で優秀なナード(コンピューター・オタクの意)」である。

 ある種の常識や社会性も備えた自然体の姿勢で、ビル・ゲイツに対する敵意も見せなければ、フリーソフト界にありがちな「ソフトコードは公開されるべきだ」といったイデオロギー的な臭みも一切感じられない人物だった。プログラミングの才能を除けば、実に普通の人だったという印象が強い。だから普通の人の感覚を持った彼が、今、何を思っているのだろうと、とても気になるのである。

 リーナスに近い人からつい最近こんな話を聞いた。

 「自分はビリオネア(億万長者)にはなれないだろうが、ミリオネア(百万長者)にはなれる気がしてきた。リーナスが最近こんなことを言うんだよ」

 フィンランドからシリコンバレーにやってきて2年半。シリコンバレーの強烈な洗礼を受け、リーナスにも変化の兆しが現れているのかもしれない。

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