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Web再開のメッセージ

2001年10月1日[BizTech eBusiness]より

 「9月11日」の米同時多発テロの勃発からもう何ヶ月も経ったような気分ですが、このサイトの更新を休んだのは先週1回だけだったのですね。そんなに時間がゆっくり進んでいることに驚きます。

 僕が、あまりに神経を張り詰めて、働き過ぎ、考え続けているからかもしれません。何だか1日が途方もなく長いのです。

 またこのサイトは今日から再開しますが、これからの更新は不定期になるかもしれません。お許しください。

 そしてまだシリコンバレーやITの話には戻れず、米同時多発テロについて書きます。

 なぜ僕が、神経を張り詰めて、働き過ぎ、考え続けているかといえば、「2001年9月11日」を境に、世界が全く新しいステージに入ってしまったと直感しているからです。また同時に、いま世界が崖っぷちに立っているという危機認識をも、併せて持っているからです。

 「何を大げさな」と思う人が大半かもしれませんが、僕は考えれば考えるほど、「2001年9月11日」のインパクトは、ほとんどの日本の人がいま想像しているよりも大きなものだと思うに至っています。

 僕はいま41歳で、次の15年くらいがきっと働き盛りなのでしょうけれど、「ああその15年は、この2001年9月11日を始まりとしてこれから生起する一連の事象に対して、自分なりにもがいていく15年になるのだなぁ」という確かな直感に、実は愕然としています。

 「2001年9月11日」以前に漠然とイメージしていた自らの「次の15年」(平和で牧歌的だったなぁ)とは全く違う「次の15年」へと、「未来の歴史」はもう既に書き換えられてしまったわけで、そういう新しい世界で生きていく覚悟がだんだんできつつあるところです。

 なぜそう考えるかという話に入る前に、アメリカの今について書いておきましょう。

 まずアメリカはこのテロによって、深く深く傷つきました。

 最初の1週間は、日本人の僕でさえ、ときどき、何でもないのに、ふと涙が出ましたから、アメリカ人の哀しみは、僕の比ではないと思います。ずっと後までいろいろな形で影響することでしょう。そのことは、アメリカという国のこれからを考える上で、是非理解しておいてください。

 僕は「9月11日」からちょうど1週間たった9月18日に出した親しい友人や顧客の人たちへの手紙の一部として、こんなことを書きました。

『アメリカ社会は、表面的には驚くほど静かです。ふだん自分勝手で権利ばかり主張するアメリカ人が、静かに「怒りと哀しみ」を鎮めつつ、隣人にやさしくあろうとしています。おとぎばなしの「理想の国」に来たかのようです。人々はとても穏やかで、慈しみあっています。犬と散歩して近所を歩いていても、違う国にいるようです。心から「生きていて幸せだね」という感じで、皆が御互いにやさしい挨拶をします。星条旗は売り切れです。いい国だなぁと思う反面、怖いムードであることも確かです。

皆、冷静です。ほんの一部、とんでもない連中が居て、とんでもないことをする(例、ヘイトクライム)のは社会の常ですが、マジョリティはとても冷静です。皆、理性で、この戦争の難しさをわかっています。でもこの問題を解決しなければ、アメリカの将来はない、という切迫感を今のアメリカからは強く感じます。』

 戦争という言葉が適切でなければ、「反国際テロのキャンペーン」と言い換えても良いですが、シンプルな軍事行動ではない総合的な「戦い」を、どんなに時間がかかっても徹底的に行なうと、アメリカという国は決意したわけです。

 攻撃の根本にある憎悪が何によってもたらされたかはともかく、アメリカが、そして現代文明が、これだけ大掛かりな攻撃を仕掛けられたわけで、そしてこれが1回でおしまいのテロだという保証が全くなく、さらにそれがアメリカに限定された攻撃だという保証も全くない以上、自衛のためにアメリカとその同盟国が、テロ根絶に向けて立ち上がったわけです。よく日本で「報復」という言葉が使われますが、これは「報復」ではなく、「テロ根絶のための自衛」だと理解するのが、世界の常識となりました。

 安易に軍事行動に走れば泥沼化してベトナム戦争の二の舞になることは、アメリカ政府は百も承知でしょう。何せアフガニスタンというところは、ソ連を含め過去にどれほど勢いのあった軍事力をもってしても制圧できなかった難攻不落の土地である上、今回は相手が国家ではないという難しさをも含んでいるからです。

 話があちこち脱線しますが、「9月11日」からちょうど1週間たって「さぁ、また前向きに仕事をしていこう」と改めて決意したとき、僕がこちらでやっているPacifica Fundというベンチャーキャピタルの仲間たちと一緒に、かなり勉強した上で、素人ながらも真摯に、これからの世界について「シナリオ・プランニング」という手法を使ってシミュレーションをしました。

 僕の仲間の1人はインド人で、インド・パキスタン問題からアフガニスタンやらあのあたりの地勢に詳しく、イスラム教やイスラム教国についての知識も持っています。もう1人は、情報技術のプロであり、戦争技術や国際情勢にも詳しいアメリカ人です。

 「シナリオ・プランニング」という手法では、さまざまな混沌としたドライバー要因の中から、最も大切であろうと考えられる軸を2つ取って、2 x 2や3 x 3のマトリックスを作ってあれこれ議論します。

 その2つの軸を選ぶという作業が最も重要なのですが、何時間も胸の悪くなるのをこらえながら(戦争の話というのはまじめにすると本当に胸が悪くなるものですね)議論を続けた僕らのとりあえずの結論として、2つの軸は「アメリカを中心とする勢力の攻撃力(軍事力、外交、経済封鎖、金融措置すべて含む)の効果、効率がタリバンやテロリスト・ネットワークに対してどのくらいいいのか」という軸と、「イスラム国家がこのコンフリクトにどの程度参加してくるのか」という軸で考えるべきだということになりました。

 2つ目の軸は、日本人の僕にはちょっと思いつかなかったのですが、「とにかくパキスタンが心配だ、心配だ」と言っている同僚のインド人に詳しく話を聞いてみると、パキスタンの政情やイスラム世界の複雑さは、僕の想像を遥かに越えた混沌とした世界のようです。

 結論として、2 x 2や3 x 3のボックスの中で、唯一そこそこ希望が持てるのは「第1の軸が強くて、第2の軸がテロリスト・ネットワークの孤立。にらみあいがかなり長く続く中でテロリスト・ネットワークが疲弊・弱体化」というシナリオでした。それ以外のボックスに入るシナリオはすべて、相当たいへんな事態になることを覚悟しなければならないと、とりあえずそういう仮説を立てて、これからの出来事に対して身構えることにしました。

 そして、この「希望のシナリオ」(希望といったって問題がすぐに解決するというような素晴らしい希望じゃないところが寂しいわけですが)が生起する確率は、日々、世界情勢によって変わっていくから、それを凝視しながら、我々の事業の戦略を立てていこうということになりました。たとえば第2のテロがどこかで起これば、混沌の度合いはいっそう増してしまうわけですから。

 素人であろうと、少し間違っていようと、世界情勢の激変を何とか受け止めて自分の問題として考えるためには、何か「思考の枠組み」のようなものを用意しておかなければなりません。そうしないと、こういう危機には対処できないというのが、僕らの考え方だったので、こんな作業に少し時間を使いました。

 ただまぁそんなことばかりしていても仕事にならないので、「Business as usual」を心がけ、同じ日に、あるベンチャーに会うために3人でバークレイまで往復3時間くらいドライブをしました。

 生物兵器やら化学兵器によるテロ攻撃がどんなものになるのかというようなまたまた胸の悪くなるような話をしつつ、10分に一度はラジオをつけて緊急事態が起きていないことを確認しながらのドライブは消耗します。

 結局そのベンチャーには投資しないという結論になって、まあ無駄足だったのですが、「ベンチャーとのこういうミーティングは、戦争のシナリオ・プランニングをするよりもずいぶん幸せだね。世界が変わってしまって、何だか寂しいね」なんて話し合いました。

 今回は少し取りとめのない話になってしまっていますが、長くなってきたし、ちょっと疲れたので、そろそろ終わりにします。

 最後に、僕がある雑誌からの依頼で「9月11日」のテロが起こる前に書いた原稿を大幅に書き直さなければならなくなって、緊急に手を入れて、「これからのアメリカ経済」について書き足した内容の一部をここでご紹介しておきます。

『そして今、世界経済の将来は全く読めなくなってしまった。何が起こっても不思議はない戦時下経済に入ったからだ。

1つだけ言えることは、「IT革命による生産性向上とグローバル成長ゆえの株高を民間企業が執行する」「そのためのIT投資と、株式投資資産効果を元手に行なう個人消費という民需がアメリカ経済を牽引する」という時代は、確実に終わったということである。短期的には、個人消費も落ち込み、企業もサバイバルを最優先事項にせざるを得なくなり、軍需と復興資金がアメリカ経済を下支えしていくに違いない。「平和の配当」を謳歌した90年代型のIT革命から、戦時下経済を下支えするITへと、ITの位置付けは一瞬にして激変したのである。

しかし、それにしても、危機に直面したアメリカの強さは凄い。中長期的には、アメリカ経済は新しいスタイルのIT革命とともに、確実に蘇ってくるだろう。私たち日本人も、組織として、個人として、環境適応力を高めるべく努力し、この未曾有の事態に対処していかなければならないと思う。』

 また一言だけ、長期的な視点についていえば、冷戦が終わってから主流を占めていた思想(思想と呼べるほどのものではなかったからこういう事態を引き起こしたと言うべきかもしれませんが)、つまり無邪気なグローバリゼーションと経済至上主義の組み合わせによって地球全体を見つめていくというビジネス社会における思考の有りようも、もう既に行き詰まってしまったということです。特に90年代後半に考えられてきた世界経済や国際企業経営の枠組みへの再考は必須となることでしょう。これについてはさらに深く考えてから、いつかどこかで詳しく書こうと思います。

 最後に。未曾有の激変ではありますが、もちろん我々1人1人の営みや、経済は粛々と日々、継続していきます。変化は機会をうむことも真実。世界の不確実性が急激に上がった今、日本企業は、組織としてアドレナリンを何とか出し、「この危機に絶対に生きのびる」ことをファーストプライオリティ(最優先事項)としてほしい、そのためにも、もっともっとこの現実を直視してほしい、と思います。

 ではまた。

追伸。

 9月17日の更新のときに、「本欄の原稿は既に3回分用意して、担当の山岸君に送ってあった。何事もなかったかのように、その原稿でこのサイトを更新することもできた。でも僕はあえてその原稿でこのサイトを更新したくない。」と書きました。これからも「ではこれが今週の更新です」というふうに、これら3回分の原稿をアップするということは起こり得ないと感じつつ、内容的には先進的で陳腐化はしないはずなのでまぁちょっともったいなぁという気持ちもあるので、「9月10日」付という形にして、数日のうちに、バックナンバーの方にひっそりとアップしますので、興味のある方はどうぞそちらをアクセスしてみてください。

 5月から6月にかけて、「ニューエコノミー時代の戦略論をめぐって(1)」3回ほど、慶應義塾大学大学院経営管理研究科専任講師の岡田さんと議論をした内容をアップしましたが、同じやり方で、テーマを「経営を科学としてとらえる」姿勢として、岡田さんと議論したものです。分量もかなりあります。その中では、経営学の最先端の話題として、「リアルオプション理論の企業経営への応用」についても取り上げています。

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