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The Archive

2003/01/25


Salon.com編集長のScott Rosenbergの苦渋に満ちた21日のBlogが、ネット上でのコンテンツ事業の難しさをよく表している。Salon.comは質の高いコンテンツを標榜するサイト。Salon.comの新しいアレンジは、年間30ドルで広告抜き、年間18ドルで広告付き、月6ドル、のいずれかを選択する有料制、または、強制的に広告を見るとそれから18時間は無料でコンテンツが読める強制広告制、のどちらかを選択することになる。

「I know that there are people who still feel that Web content should be free. Certainly the Web is built on linking, and linking isn't easy when sites throw up subscription gates. That's why we offer a precis of every subscription-only story on the site; it's not full-content but it's more than just a headline.」
とScottは書くが、結局、こんな面倒くさいことをしてまでSalonを読む必要がある(他にもコンテンツはネット上に無償で溢れているのにもかかわらず)というふうに考える読者が、現在の50,000人読者のうちどのくらい居るかということだろう。
「The truth is that free, professional journalistic content, content created by people who get paid for it, only makes sense if you're selling something else -- subscriptions to a print magazine, say. For Salon, or any other standalone independent that needs to pay not only for content but for bandwidth and software and health plans for employees and so forth, some variation on the subscription plan is the only way to go. We've tried to make ours open and flexible -- to keep our gates passable even as we try to support our business.」
結局、無償で質のよいコンテンツをネットに上げてごく普通の広告収入に頼るというモデルは小規模では成立しないということだ。だから、給料だって払えないから仕方ないのです、と泣き言を言っているわけだ。Blogの台頭は、無償良質コンテンツの爆発的増加という深刻な問題を、Salon.comのような事業者に突きつけている。良質コンテンツのダンピングが起きているということだからだ。コンテンツ産業がなくなることは絶対にないが、給料をもらいながら誰でも書けるような当たり前の記事や原稿を書く、なんていう幸せな職業は、どんどん減っていくのだろう。


昨日の続き。そんなことに気づき、「日本人一万人シリコンバレー移住計画」などというキャッチコピーを思いついてからは、JTPA設立までは、だいたい一直線であった。

最初に、JTPA設立に関する相談を重ねた仲間の連中は、渡辺千賀(現JTPA代表)中町昭人大澤弘治原邦雄と僕の五人であった。

そして、とりあえず、30代の渡辺、中町が中心になってマネジメント・チームを構成し、40代の梅田、大澤、原はボードメンバーにまわることと決めた。シリコンバレーらしく、若い組織にしたかったのだ。その後、マネジメント・チームには佐藤真治が加わり、ボードメンバーには長老格の(といっても40代ですが)、金島秀人立野智之が加わった。

アドバイザリーボードには、JTPAの趣旨にご賛同いただいた、外交評論家・内閣参与の岡本行夫さん、と、スタンフォード大学の西義雄教授にご就任いただいた。 東京大学医科学研究所所長の新井賢一先生にも、まもなくアドバイザリーボード・メンバーにご就任いただけることになっている。

構想から一年強、設立から半年と、活動はまだまだ始まったばかりだが、ボランティア、サポーターも徐々に増え、JTPAを作ってよかったなぁ、と最近よく考える。興味のある方は、ぜひJTPAサイトを散策し(リニューアル前のものですが)、ぜひメーリングリスト登録をしてください。今は、日本からのメーリングリスト登録者もかなりの数に増えてきました。

そして最後の余談だが、JTPA代表の渡辺千賀が個人的にやっているBlogは、癖が強いが、慣れるとなかなか面白い。特に、1/9の「CES, Tivo, Amazonand personalization」、11/17の「庭仕事」、12/11の「日本の痴漢(1)」、1/10の「日本の痴漢(2)」はお勧め。文には人柄が出るというが、この文章そのままの人である。

2003/01/24


昨日の続き。いつの時代にもミクロに見ればたくさんの機会がころがっている。不良債権処理の周辺には買収ファンドのようなビジネスがあるし、文系の優秀な若い人たちには、外資を中心に、日本でいろいろなチャンスが広がってくる。大学を卒業した後に外資系の金融機関やコンサルティング会社に勤め、米国のビジネススクールに行って、云々かんぬん、というふうに、何となくキャリアパスのイメージもつかみやすい。ロールモデルとなる人々もたくさん居る。

でも、テクノロジーを極めていきたいと考える技術系の若い日本人にとっては、20年前と違って、人生モデルが描きにくくなっている。日本の大手ハイテク企業は、ほんの一部の企業を除いて凋落し、中高年の雇用を守り、新規採用を絞っている。そもそも日本の大企業に定年まで勤めるなどという生涯モデルは若い人の心の中でとうに破綻している。かといって技術ベンチャーへ行って技術を世界一に極められるかというと、それほどの環境も整っていない。大学に残る人もいるが、日本の大学の閉鎖性、教授を頂点とする古い体質はすさまじいものがあり、これには辟易することも多い。

僕は技術系の大学を卒業したが、技術者としては二流だということが学生時代に嫌というほどよくわかったから、あるときから、文系の人間のような生き方をして今日に至った。でも一流のエンジニアやサイエンティストになれる才能を持ったたくさんの日本の若い人たちが、キャリアパスのイメージが抱けないゆえに、文系的転向をするのはもったいない。

あるとき思った。そうか、日本が、欧州や台湾やインドや中国と、条件が同じになったと思えばいいのじゃあないか。だったら、日本人技術者も、米国に留学して、そのまま米国で職を得て、自由な個人として生きていく人生モデルがあるじゃないか、と思ったのだ。

シリコンバレーにはフランス人が三万人くらい居ると言われている。

フランス人がよく行くスーパーマーケットでは、オーブンで焼くとパリも顔負けの美味しい冷凍クロアッサンを売っているほどだ。

それは、フランス人の一流のエンジニアが、ごく自然に就職先を探した結果、ごく自然にシリコンバレーの会社を選び、ごく自然にこれだけの人が集まってきただけのことである。国内にエキサイティングな仕事がないのなら、世界に出て行けばいいのである。

技術者というのは元来、世界に通用する技術(腕)を有するゆえに、自由に生きることを許された特権的存在なのである。

2003/01/23


昨日の続き。「自分より若い人たちと過ごす時間を増やそう」という僕の気持ちの変化の背景に、特に論理は何もなかった。

でもそういう視点で時間の使い方を変えてみると、これまで全く見えていないものが見えるようになった。

それは、日本が、僕が大学を卒業した1983年頃に比べて、つまりこの二十年の間に、全く違う国になってしまい、その新しい日本における「若い人たちの閉塞感」はとてつもなく深いらしいということだった。

確かに今の日本は豊かで暮らしやすい。でも社会の根本のところがグズグズになり、僕よりも上の世代の人たちが、意識して、また無意識のうちに、既得権確保のための時間稼ぎに走り、これまでに日本が蓄積してきた富を、その世代までの日本人の間で、ほとんどすべて分けてしまおうとしているのが、今の日本である。日本企業の課題も、ほぼすべてこの問題に帰着できる。

そんな日本で、頭がよくセンスのいい若者たちは、何を思い、何を考えているのだろう。それが知りたくなった。

JTPAの準備をしつつ、産経新聞「正論」欄に「若い頭脳活用する環境つくれ」という文章を書き、日経ビジネスで将棋の羽生さん、マネックスの松本さんと「若者の才能を解き放て」という座談会をやったのは、去年の春のことだった。

2003/01/22


何回かに分けて、JTPA(Japanese Technology Professionals Association)の話を書きたいと思う。「日本人一万人シリコンバレー移住計画」の推進母体となるNPOの話である。

その前に、まずは少し個人的な話から。何か大きな出来事が人生の転機になるというのはよくあることである。僕の場合は、間違いなく、2001年9月11日の同時多発テロだった。論理では全く説明できないのだが、この日を境に、自分の人生の前半生が終わり、後半生に入ってしまったのだな、ということを、僕はテロの数日後に、深く確信してしまったのである。そしてそのことを9/11から4週間たった頃、フォーサイト誌2001年10月号「シリコンバレーからの手紙」に、こんなふうに書いた。

『私自身について言えば、「この9月11日という日に、自分の前半生と後半生との間に、鮮やかな線がくっきりと引かれてしまったのだ」という未来への予感が、日に日に確たるものになっていくのを感じる。その鮮やかな線の意味が何かはまだよくわからない。世界全体がまったく違うステージに入ってしまったことの私への影響、私自身の関心の変化、日本と私の関係、シリコンバレーと私の関係、どれが決定的な要因になるかはわからないのだが、確実に私は、9月11日以前とは違う毎日を生きていることを実感する。はじめは戸惑うばかりだったが、四週 間経った今は「変化する自分をまた楽しんでしまえばいい」と少しポジティブに思えるようになってきた。いずれにせよ、9月11日は「世界が変わった日」であり、私自身もすでに大きく変わってしまったのかもしれない。』
それから2ヶ月たって、同誌12月号の同欄に、
『本誌第10号の「シリコンバレーからの『長い手紙』」の中で、私は、9月11日という日が自分の前半生と後半生を分ける分岐点となるに違いないという予感について書いた。それを読んだある友人から「君は珍しいモノの考え方をするねぇ」と半ば揶揄のこもったコメントをもらった。確かに考えてみると「大きな環境変化が起きたときに、真っ先に自分が変化しなければ淘汰される」という「シリコンバレーの掟」に、私は知らず知らずのうちに強く影響されているのかもしれない。9月11日という日を境に世界がどれほど大きく変わるのかはまだよくわからない。でも「前半生と後半生の区切りだ」くらいの構えで新しい自分を構築していく決意を持った方が、これまでの生き方に固執するよりも「リスクが小さい」と、私は確信しているのである。本質的変化に関する一つ一つの直感を大切に、時間の使い方の優先順位を無理しても変えてしまうことで、新しい自分を模索していきたいと今は思っている。「自分(1960年生まれ)より年上の人と過す時間をできるだけ減らし、自分より年下の人、それも1970年以降に生まれた若い人たちと過す時間を積極的に作ることで次代の萌芽を考えていきたい」と思う気持ちが、最近、日に日に強くなっている。 私はこの十年、仕事の上では「日本企業向けの経営コンサルティング」を通して自分より遥かに年長の経営者たちと付き合い、自己研鑚という面では、日本でもシリコンバレーでも、自分より少し年上の層から尊敬できる人を探しては付き合ってきた。その生き方を変えることから始めてみようと、実は考えている。(中略)象徴的な言い方をすれば、おそらく私も含め、私より上の世代の役割は、「9月11日の後始末」に全力を尽くして果てることであるに違いない。むろん「9月11日の後始末」には、日本の80年代のバブル崩壊から90年代の失われた十年までの後始末も含まれるし、米国の湾岸戦争からクリントン時代、ITバブル崩壊までの後始末も含まれる。そして現在の危機を乗り越えた先の五年後か十年後に、今は 想像もつかない新しい何かが創造されるかどうかは、次世代の力量にかかっている。私は、現在の仕事を通して自らの世代的役割を果たしつつも次代の可能性を追求する方法を探しはじめることから、後半生のスタートを切ろうと思う。』
と書いた。JTPAは、僕がこの文章を書いた頃(一年ちょっと前)から、志を同じくするシリコンバレーの仕事仲間や友人たちと一緒に、真剣に構想を練り始めたものなのである。

2003/01/21


先週のフィオリーナの記事に続き、Forbes誌の「Could Carly Have Been Right?」。合併から八ヶ月。むろん、まだまだ課題はあるが、予想よりもずいぶんうまくいっているではないかという評価である。

「Since May, HP (nyse: HPQ - news - people ) has cut costs faster than expected, quickly winnowed overlapping or unsuccessful products, narrowed losses in all segments and, perhaps most remarkably, maintained market share in most categories. HP is still losing money in key areas, and enormous challenges remain, but as it wraps up its fiscal first quarter, which ends Jan. 30, the mood is surprisingly optimistic.」
この記事は、日経の記事のようにファクトを一つずつ書いたごくごく普通の当たり障りのない記事だが、HPの現状を知るにはコンパクトによくまとまっている。
「Cutting costs has been the easy part. Writes Merrill analyst Steven Milunovich, "Cost cutting should carry the stock for another six months, after which HP must prove itself as the enterprise alternative to IBM."」
HPがIBMのAlternativeになるというのは自然な流れだ。HP-Compaq合併というとちょっと錯覚しやすいが、Compaqが97年にTandemを、98年にDECを買収したことを思い出すといい。コンピュータ産業の歴史の中で、Enterprise市場でIBMに対抗していたミニコンの雄、DEC、HP、Tandemは全部、今、HPに集約されたのだから、底力があることは間違いないのである。

2003/01/20


18日(土)の夕方、San Mateoの和食レストラン「DEN」で、「SVJP/YJP Party - January 2003」が開かれたので、妻と二人で遊びに行ってきた。SVJP/YJPというのはSilicon Valley Japanese Professionals/Young Japanese Professionalsの略で、シリコンバレー、Bay Areaに住む若い日本人たちの交流パーティである。シリコンバレーでベンチャーを興した日本人、シリコンバレーの公開企業に勤める日本人、学生、日本人とネットワーキングしたいアメリカ人、などなど150人くらいが集まる。パーティの仕切りなど何もないシンプルな集まりだ。

ウィルソン・ソンシーニ(法律事務所)の中町昭人さんが、何年もかけてコツコツと、こちらでのネットワークを作ってきた賜物のパーティである。独立心旺盛で元気のいい若い日本人たちとの交流はとても楽しい。シリコンバレーは今、不況のどん底にあるし、異国の地で踏ん張って生きていくためにはいろいろと厳しいことも多い。でも皆、前を向いて、自分の人生を切り開こうとしている。

プログラマーのM君(29歳)のコメント

「中国人やインド人が優秀だ、優秀だって言いますけど、日本人の方がずっと凄いですよ。日本の人たちは、皆、ただこっちに来ればいいんです。英語なんてできなくたってプログラムが書ければ大丈夫。英語はあとから自然についていきますよ。日本があと十年くらいでどうしようもなくダメになったときまでに、きちんと実力をつけて、そのときに日本に帰って何かしてみたいですよ。その第一歩として、今勤めているスタートアップを成功させたいな。」
半導体製造装置関連技術者のA君(30代前半)のコメント
「梅田さんは、日本企業からの駐在者を除くと、シリコンバレー人らしくプロフェッショナルとして生きている日本人は五百人くらいって言ってるけど、もっとたくさん居ると思いますよ。HPだってインテルだってアップルだってアドビだって、シリコンバレーの大企業で日本法人を持っている会社は、本社でのジョブ・オファーをいつもしているはずです。僕だって、10年間、日本法人に勤めてから、もっと自分の技術を磨こうと本社のジョブにアプライして3年前に転籍してきたんです。僕の知っている限りでも、そういう人が30家族くらい居ますよ。」
ハードウェア技術者のW君(30代後半)のコメント
「皆、一匹狼っぽい人が、日本を出てきていて、あんまり群れて集まったりしないから、数がわからないけど、日本人はけっこうたくさん居ますよ。僕は大学で電気工学を勉強して、日本の会社に三年勤めた後、グローバルに仕事ができるようになりたかったからアメリカに語学留学で来ました。でも語学留学じゃ仕方ないな、英語は身につかないなと思ったので、大学院に行くことにして、卒業した後は、スタートアップを三つ経験しています。つい最近、台湾からH-1ビザでシリコンバレーに来ている女性と結婚したんです。もうすぐ僕の会社で大きなレイオフがあるかもしれないんで、結構たいへんですけれど、もしレイオフされても、すぐに仕事は見つかると思います。」
数ヶ月前、ある大会社をレイオフされてしまった、ということで相談に来たI君にも、久しぶりに会った。彼は開口一番、
「就職が決まりましたよ。シンガポールの会社です。Monster.comでレジメを送ったら、すぐに来てくれという話になったんです」
皆、たくましく、活き活きしている。僕は最近、若い人に会うと、よくこんな話をする。
「日本の組織に勤めていると、給料も高いし安定しているし色々なことを経験させてくれるし、直近はおいしい話がたくさんあるけれど、できるだけ若いうちに、日本の組織を離れたほうがいいと、僕は思う。日本の組織に15年以上勤めてしまって30代後半になると、その組織にしがみつく人生になってしまう可能性が高い。僕(42歳)の友達を見ているとつくづくそう思う。日本の組織の外に出て、仕事をしてみる。目の前に何かチャンスがあったら飛びついてみる。そこであれこれともがいているうちに培った人間関係を大切にしていれば、必ず、どこかで道は開けると思う。そんなふうに20代、30代を過ごした人たちを、いずれ必ず日本が必要とする時代がやってくるはずだと思うよ。」

2003/01/19


E-Bayの年間売り上げが$1bil(10億ドル)を越えた。これは公開してからの$1bilに達するまでのスピード記録の一つで、シリコンバレーの企業の中では、アップル、サン、Nvidiaの記録よりは遅かったが、シスコ、シーベルとほぼ同じスピード。

「EBay reached $1 billion in sales only four years after going public, one of the valley's fastest dashes to the symbolic mark. Sun Microsystems, Apple Computer and Nvidia made it in even fewer years, but eBay's achievement matches that of Cisco Systems and Siebel Systems, among a handful of others.」
こうした記事が出たときに、シリコンバレーの上位企業リスト(HPのようなNYSE上場企業が並んでいないのが欠点だが)を眺めていると、シリコンバレーの全容を把握するのに発想が刺激される。e-Bayは時価総額順で第四位。100位あたりで、だいたい時価総額が$300mil台。その下には、たとえばバブル期に株価が高騰したRedbackとHandspringいったところが、ともに、株価は1ドルを割り込み、時価総額は$150milを切っている。100位以降のこうした企業群の株価が実態と比べて下がりすぎているとすれば、今は底値だから投資したほうがいい。でもズルズルとそのまま下げ続けて倒産するのならば、いくら安いところで買ったからといって投資はすべてパーになる。こちらの連中と飲んでいると、こうしたハイリスク・ハイリターンの底値買いの話題がよく出るものである。買う買わないは別として、思考実験としてはなかなか面白い。


Indian Institute of Technology(IIT)の話の続き。やっぱりLocal紙のSan Jose Mercury Newsはこのイベントを大きく報じた。ビル・ゲイツは、インドのことを「a superpower of human talent」と称し、昨 年11月、向こう三年間で$400milをインドに投資することを発表した。そしてイベントでは、

「We can speak about outrageous dreams about how computers will improve life 20 years from now. IIT will do more than its share to contribute to this」
と語った。統計数字としては、シリコンバレー(Bay Area)に、IIT卒業生だけで3,000人以上。米国のIndian-American communityは、この十年で二倍にふくらみ、約200万人。
「India has surpassed China to become the second-largest source of legal immigrants to the United States, after Mexico.」
インドは中国を抜き、合法移民の数で、メキシコに次いで第二位になったという。

こういう記事の場合、Google Newsがとても便利だ。「IIT」で検索すれば、瞬時に、インドの新聞がどう報じているかが読める。「IIT's impact is worldwide: Bill Gates」(Hindustan Times)によれば、

「Suffice it to say that the IIT is an "incredible institution" whose impact has been worldwide, said Gates adding: "The computer industry has benefited greatly from the tradition of the IITs." Two of Microsoft's vice-presidents are from IIT, while many more are serving the company at different levels. In this digital decade, which is all set to transform our lifestyle, the IITs will have a great contribution to make. Said Gates: "Where do we go from here? The theme is 'working together'. US working with India, commercial organisations working with IIT, Microsoft working with IIT..."」
IIT is an incredible institution, says Bill Gates」(Radiff.com)によれば、
「He said that IIT and Microsoft have lot in common and aspire for the same things -- including optimism about the future, and a belief in fundamental research. "The computer industry has benefited greatly from the tradition of the IITs," Gates said. Before Gates's speech there was a brief spotlight on IIT, with messages from John Chamber of Cisco and Jeff Bezos of Amazon. Chambers recognised the IIT system as one of the best in the world and said, "I want to thank you for Cisco employers that is approaching 1000, " Bezos said. "IIT is a world treasure," he said and recognised the contribution that engineers from IIT have made to his company. "IIT thank you, bless you."」
どこのハイテク産業にも膨大な数のIIT卒業生が働いているわけだ。人材のグローバル競争は、インドに加え中国の参入によって、ますます過酷になっていくに違いない。

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